琵琶今昔

琵琶の写真

琵琶という言葉と共に多くの方が思い浮かべられるのは、正倉院宝物の中の豪華な螺鈿紫檀五絃琵琶、そして奏でられる曲は『平家物語』ではないでしょうか。ところがこの二つには、その昔かなりの隔たりがありました。

正倉院の琵琶のうち、胴の膨らみが大きく棹の短い琵琶は、古代ペルシャを起源とし、シルクロードを経て唐から奈良朝頃に我が国に伝わり、宮中での雅楽の合奏に使用されて、《楽琵琶》と呼ばれるようになりました。楽琵琶は現在も、ほぼ当時のままの形で演奏されています。

一方、胴が細身で棹の長い琵琶はインド起源と言われており、インド系の琵琶は、伝来の時期や詳しい経路は明確ではないものの、朝廷を介さず、九州地方に 直接伝わった別ルートもあるようです。それらは土俗的民間信仰と交わリ、盲目の法師によって、主に地鎮祭やかまど祓いなどの宗教儀式で演奏されるようになり、《盲僧琵琶》と呼ばれました。

やがて律令制の崩壊に伴い、宮廷から野に下った楽人達が新たな庇護を寺院に求め、法師という形をとって活動するうちに盲僧琵琶と出会い、その軽量で携帯に便利なところを楽琵琶に取り入れて作り出されたのが《平家琵琶》です。

かの有名な文学作品『平家物語』は、平家琵琶を奏でる琵琶法師によって語り伝えられた口承文芸であり、それらの演目は《平曲》と呼ばれています。

現在、平家琵琶(平曲演奏家)は僅かながらも若手の継承者が育っていますが、盲僧琵琶は、最後の琵琶盲僧と呼ばれた永田法順氏(宮崎県延岡市)が平成22年に後継者のないままに死去され、残念ながら殆ど伝承が途絶えてしまったと思われます。

現在も比較的演奏者が多い《薩摩琵琶》《筑前琵琶》は、いずれも盲僧琵琶を元に芸能化されたもので、平家物語を始めとした殆どの演目が明治以降に新たに作詞作曲されています。

薩摩琵琶は、戦国時代に薩摩の島津家で武士の精神修養にと始められたのが明治維新と共に上京し、一般に演奏されるようになったものであり、筑前琵琶は、僧が民家に法要に行った時、お経だけでなく物語やニュースなどを琵琶の伴奏に乗せて語り聞かせていたのを、盲僧の家に生まれた一丸智定氏(後の初代橘旭翁 1848-1919)が、より芸術性を加味して広く愛好されるようにしたものです。

やがて楽器や記譜法にも改良が加えられ、言葉もわかりやすい作品が次々と作られました。

また昭和初期には、薩摩琵琶から改造された《錦琵琶》が加わり、琵琶の一大隆盛期を迎え、演目も平家物語に題材をとったものばかりでなく、『広瀬中佐』『常陸丸』や『二〇三高地』など日清・日露戦争にちなむ作品も人気を博しました。

第二次大戦後には、『嗚無情』(レ・ミゼラブル)など西洋の物語を題材にした新曲も作られましたが、占領下にあって、戦記ものの多い琵琶はGHQからも白眼視され、不遇の時代が続きました。

幸いにも昨今は伝統芸能が再び見直され、琵琶もまた愛されるようになってきました。

現代社会はテレビやインターネット等により情報が溢れていますが、交通や通信機関が未発達だった時代においては、庶民は琵琶法師のような各地を遊芸する人々から貴重な情報を得ていたことでしょう。

このように常に時流を反映しながら受け継がれてきた語り芸ですから、時代の変遷と共に忘れ去られてゆく曲も少なくありませんが、『那須与市』のように平家物語の原文そのままを歌詞として作曲され、今なお名曲として演奏され続けるものもあれば、現在も様々な新しい作品が生まれています。

更に近年は語りの伴奏だけでなく、邦楽の合奏を始めとし、洋楽器、民族楽器、朗読、舞踊など他分野との共演も盛んになり、楽器としての可能性も広がりつつあります。

温故知新・・・昔も今も、そしてこれからも、琵琶は脈々とその時代を生き続けることでしょう。


川村旭芳 著